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2011.03.27 セクハラ父ちゃん

またまたまた父に仕事の手伝いに来てもらいました。
またまたセクハラ発言をされました。
ここに書くのもおもんばかるような内容だったので、明言は控えますが、自分の子孫繁栄能力をもっと若いうちにちゃんと見ておけばよかったな〜という内容でした。
まあ3人も娘がひょいひょい生まれたくらいですから、さぞかし優秀だったのでしょう。
しかし3人も娘がいるのに69歳になった今も孫の顔を拝めず。やっぱりあんまり優秀ではなかったのかもしれません。

2011.03.26 たくさん失敗しちゃった夜、ねずみは何思う?


姉(長女)が自分のアパートに帰るので、送っていくことに。
姉は実家から1kmと離れていないアパートに住んでいます。

朝、目覚ましがまったく聞こえず、予定より一時間遅れで姉に起こされました。
その時の「あれ?目覚ましならなかった?」という自分の口調があまりにも父にそっくりすぎて朝から少し落ち込みました。

実家の方は道路が一度川になったあとドロドロのぼっこぼこで、あらゆる配管がブチブチで、大変な状態と聞いていたのですが、早くも修復が始まっていたので、想像していたより酷くなくて安心しました。でも風に舞う砂塵のひどいこと。ゴーグルつけずには歩けませんでした。
姉を送り届けたあとは実家へ行き、ぺちゃくちゃしゃべって元気づけてきました。
夕ご飯はねずみ様のお膝元ホテルへ、被災者支援メニューを食べに行きました。
相当混乱しているらしく、姉(次女)の頼んだハヤシライスにお箸がついてきました。
帰りは新橋に寄って打ち合わせ。
暗い新橋。でも普段の新橋知らないから、違いがわからない新橋。

2011.03.23 いろんな人がいると思う


いまにもすべり落ちそうな象と、

その象を救おうと一生懸命引っ張りあげている象と、

少なくなった人数で必死に地球を支える象と、

象たちの様子を見守るしかない亀がいます。

亀にできることは、

象たちがこれ以上困らないよう

しっかりと 足をふんばって、

じっと ふんばり続けること。

2011.03.22 そこだってば

母の携帯から電話が来た直後に大きめの余震がありました。
「あらやだ長いわ、お母さん携帯どこやったっけ?」
似たような会話、全国でもあるのでしょうね。

2011.03.21 二人暮らし開始

あいかわらず水が出ないとのことで、姉がうちに来ることになりました。
わがままばっかり言ってくるので、怒鳴ったら今度はめそめそしだしました。
姉ちゃんのばか!もう知らない!って言いたかったです。

2011.03.18 ビール様にお願い

友人夫婦に誘われて、外食産業の危機を救うべく、近所の居酒屋へ行くことにしました。行ってみたら意外と混んでました。なんだ、平気じゃないか、と拍子抜けしつつのごはんでしたが、やっぱりこういう時に友人と会って話せるというのは嬉しいものですね。
私はこの頃も水道水をガバガバ飲んでいたのですが、そんな放射線対策にはビールがいいと聞いたので、今度はビールをガバガバ飲んで帰ったら、帰宅途中から激しい腹痛に襲われました。しまった…ビールがあと一歩遅かったか…と顔面蒼白になりながらトイレで苦しんでいると、ふとお昼に100%のデコポン入り野菜ジュースを飲んだことを思い出しました。昔から、100%のジュース飲むこうなるんでしたっけね。

2011.03.15 家族襲来

水が止まった実家から家族4人がやってきました。
うちに来るなり挨拶もなしに風呂に直行する長女。
洗濯機にありったけの服をつっこむ母と次女。
ぼろアパートの風呂に文句をつけてくる父。
この遠慮のなさが家族なのでしょうね。

とても久しぶりに家族5人でだらだらと過ごしました。
父は今回の震災でますます娘たちの未来が不安になったのか、
私がうさぎのぬいぐるみを抱いて、姉にちょっかい出してたら、「抱く相手が違うだろ」と言ってきました。
セクハラしてでも孫の姿が見たいらしいです。
どうやら自分がいなくなったあと、この娘たちを支える人間が誰もいなくなることが心配なようです。

一方母は、心配しなきゃいけない人数が少なくて幸いとのこと。もし孫がいたら、そっちの心配までするのは身がもたないということで、このまま独身でいてくれ、と言ってきます。

どっちも親が子を思う気持ちに変わりなし。

2011.03.14 停電詐欺

撮影したデータをまとめたり、イラストを描かなくてはいけないのですが、正直少し休みたい。「計画停電のせいで遅れるかも」とメールを送って休憩してたら、停電がありませんでした。どうしよう…遅れられないじゃないか!もうこんなに寝ちゃったよ!
結局朝の4時まで必死に作業して、何とか終えました。

2011.03.13 感謝してますよ

友人が撮影の手伝いにきてくれました。
横向きで使う写真になるからこの方向でお願いね、とカメラを渡したのですが、気がつくとカメラが縦を向いています。横向きでお願いね、と言ってから友人の方を見ると再び縦に…。この状況の中来てくれたのだから、何も言ってはいけません。まさか文句など……言うまい言うまい。

一生懸命準備しただけあって、撮影は早々に終えることができました。
明後日、水が止まった実家から家族が来ることになったため、急に物が入り用になった、と事情を話すとそのまま買い出しを手伝ってくれることになりました。
まず立ち寄った大手スーパーではトイレットペーパーを手に入れるので精一杯。普段ならまず入ろうとは思わないような、小さな商店や薬局を巡って何とか水と米を入手しました。友人は花粉症に苦しみつつも、重い荷物を抱えたままあちこち回るのに付き合ってくれました。
ちょっとパニック気味だった私と比べて、常に平静を崩さずに一緒にいてくれた友人。本当に感謝です。

だから次の撮影は父に頼もう、とあとから写真チェックして思ったことは黙っておかなくてはいけません。

2011.03.12 仕事は進めます

予定通り、明日友人が手伝いに来てくれるというので、せっせと撮影の準備を進めました。
余震が来るたび、水入れにタオルをつっこんで、こぼれないようにしました。
寒さ対策のため、自分をシュラフにつっこんで、作業してました。

2011.03.11 あの日

一人でできる撮影を家でしていました。
税務署からの通知を開封して、よくわからんからあとで見ようと思っていた時でした。
震度2くらい→すぐ収まると思って撮影続行
震度3くらい→最新データ入りのUSBメモリを抜いてポケットへ。
震度4くらい→本棚を念のため押さえる。つけっぱなしのJ-waveからも緊迫の声が聞こえる。
震度5弱くらい→机の下へ。いろいろ祈る。
震度5強くらい→震えながら実家に電話をかけてもつながらない。姉にメールを送ると何とか送信できる。ツイッターでようやく外の世界とつながる。
1時間後、隣のおばあちゃんの様子を見に行ったら、さっさと割れた食器を片付け始めていました。数時間後、ようやくメールが届き、家族の無事を確認できました。こちらの被害はほとんどなし。ついでだからと今日は作業はやめて友人の来訪に備えて掃除を始めました。お腹がすいたので、帰宅難民溢れる道路を歩いて近所のスーパーで、一食分だけ買って夕ご飯作って食べました。
夜になって実家と電話がつながり、大変な事態になってることを知りました。

2011.03.08 計画って未来を確信してるから立てられるんだよね

いままで父に手伝ってもらっていた撮影ですが、今度は13日に友人に来てもらうことになっています。
身内だと、つい頼ってしまって準備を怠るので。大丈夫、あと準備だけで5日もあると自分に言い聞かせながら作業をしていました。

2011.03.05 中央線の日

阿佐ヶ谷の作画の講座に行ってきました。
先生が世界一大きなハチの標本を持ってきてくれました。そこから延々30分くらい生徒の手を止めさせて、先生のお話しタイムとなりました。別に昨今のアニメーション業界が抱える問題についての語りとかじゃありません。「猫ってさ、あいつら痛み感じないんだよ。動物は知能が高くなるほど痛みを感じるんだよ。だからゴリラとか強いのに、怖がって逃げるから豹とかの方が勝つんだよ」とかそんな話です。この先生、いつもどうしてそんな話知ってるんだろう?というお話しばかりしてくれます。アニメーターは常に何事にも好奇心旺盛であるべし、ということかな?

帰りに新宿のアウトドアショップで働いている友人を訪ねました。アニメーション学校時代からの友人です。何かと価値観が一致する子です。夏に、一緒に小笠原に行くことになりました。

2011.03.02 現実を見よ

幸せに浸ってる暇なんてなかった!
仕事のため、顔も洗わず歯も磨かず、必死に原稿の制作に取り組みます。
今日口に入れたのは、アメとアイスとラーメンだけでした。
食糧買いに行ってる暇などない!ありとあらゆる暇がない!

2011.03.01 一瞬のモラトリアム

今日で年度内の授業が最後となりました。
この一年で、苦手だった中学生がとても愛おしい存在へと変わりました。

このサイトを始めた時、勤めていた会社を辞めました。
メーカーとお客さんの仲介に入る企業と企業を、さらに仲介する会社にいました。
いい会社でしたが、生産者の顔も消費者の顔も全く見えない中で仕事をすることにずっと違和感がありました。本当にこの仕事をして喜んでいる人はいるのかな?つなぎの人だけが満足して、いい仕事をしたと言えるのかな?ちゃんと反応の見える仕事をしたい。
そんな風に思っていました。

問題も答えも常に目の前にあるのが教師の仕事。
フリーの仕事と二足のわらじで、ほとんど休みなく働き続けた一年でしたが、無条件に慕ってきてくれる子ども達からたくさんの愛情をもらって、とても幸せな日々でした。

次の一年を迎える前に、少しの間この幸せに浸っていたいと思います。


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